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インタビュー 坪井勇磨 
③自分を変えてくれたドイツでの経験

 高校3年生でインターハイ三冠王という輝かしいタイトルを手にした翌年の2015年から、バタフライ・アドバイザリースタッフに名を連ねている坪井勇磨に、卓球レポートでは初となるインタビューを行った。
 第3回は、ドイツでの経験と三冠を獲得した高校3年生のインターハイの話を聞いた。

即答したドイツ行きの提案

--不調の時期はどうやって乗り越えたのですか?

 自分が何をしたっていうことではなかったんですが、変わることができたのは周囲の方が環境を変えてくれたおかげですね。
 それまでドイツに行っていたのは、山田の中でも、賢二(松平賢二/協和発酵キリン)さん、健太(松平健太/T.T彩たま)さん、丹羽(孝希/スヴェンソン)さんとか日本代表クラスの選手だけだったんですね。吉田(安夫)先生もドイツに行くと自分の目が離れるし、練習量も減るし、あんまり賛成ではなかったんです。
 それで、高校2年生で吉田先生が引退されて、板垣(孝司)先生が監督になったときに、板垣先生に「もし行けたらドイツ行きたいか?」って聞かれて、僕はもうそれ以外には現状を打破するチャンスがないと思ったので「是非行きたいです」って即答しました。
 本当だったら海外に行かせてもらえるレベルではなかったんですが、卓球には真面目に取り組んでいたので、その点だけは評価してもらえていたのかなと勝手に思っています(笑)

 それで、高2のインターハイが終わってから半年間、ドイツに渡って当時フリッケンハオゼンの監督だった邱建新さんのもとで練習しながら、ドイツリーグの3部チームで毎週試合をやらせてもらうことができました。
 僕の印象では、邱さんって指導者の中でも卓球に対する理解度がずば抜けて高くて、教えることにまったく無駄がないんですね。「こういうボールがこのコースに来たらこうやって打つ」「こういうボールを打ったらこう返ってくる」というロジックが確立されてて、その考え方がその時の僕にすごいフィットしたんです。それまで考える力があまりなかった僕にも、枠にはめるというかパターン化して考える卓球がすごい合って、勉強になりましたし、結果にも結びつきました。

 分かりやすい例を挙げると、フォア前にストップが来た時に、ベストの返球はフリックかチキータで強く打つこと、それができなかったらストップ、それもできなかったら長くツッツく、とそういう考え方ですね。
 そういう考え方ができると、常に何をすべきかが明確で、何が良くて得点できたか、何が悪くて失点したかっていうのが分かるようになって、半年の間にかなり卓球に対する理解が進みました。その後の僕の卓球にも一番大きな影響を残しているのがこのドイツで過ごした半年だったと思っています。

 あとは、ドイツの卓球文化に触れられたのもよかったですね。3部でもチームでも1、2番手は結構強かったですし、夜の9時くらいに始まる試合でも小さい体育館がいっぱいになるくらい地元のお客さんが入って結構盛り上がるんですよ。そういう経験したことがないような環境で試合ができたのもすごいよかったですね。

 対戦相手も、フォームもボールもきれいで何でもできる日本人と全然違って、少ない技術で戦術を駆使して戦ってくるという感じで、自分の強いところをしっかり出してくるんですね。
 最初は戸惑いもありましたが、もちろん技術的には弱い部分があるので、そういうところを攻めればちゃんと勝てるっていうことは学びました。それまでは実力というか総合力で上回っていれば勝つという感じでやっていたのが、相手の弱いところを突いて、自分の強いところを出すという意識に変わってから、勝てるようにもなったし、自分の卓球も変わったと思います。

 ドイツ時代には、水谷さん(水谷隼/木下グループ)と一週間ほどでしたが、一緒に過ごした時期がありました。青森山田の大先輩ですが、それまではほとんど面識もなくて、しかも、水谷さんはもう既にレジェンドだったので、お会いして緊張したのを覚えています。
 一緒に練習もさせていただいて、すごく刺激を受けました。僕は全然ミーハーな方ではないと自分では思っていますが、この時ばかりは記念に2ショット写真を撮らせていただきました(笑)

ドイツでは先輩の水谷隼とも練習する機会があった



--ドイツでの経験を経て、翌年のインターハイにはどのように臨みましたか?

 初めてシングルスにも出られましたし、ドイツを経てスランプは乗り越えることができたので、自信を持って臨むことができました。でも、三冠は全然狙ってなかったですね。特にシングルスは(笑)
 個人のタイトルの前に、まずは、学校対抗のタイトルを取り返すことに集中していました。前の年に自分たちがやらかして優勝を逃してしまったので、そのリベンジですね。

 それで、学校対抗で無事優勝できた時に、シングルスではベスト8に入っていました。シングルスは他校の選手には負けない自信がありましたが、勝ち進めばどうしても同士打ちになるので、1年後輩の三部(航平/シチズン)、及川(瑞基/木下グループ)のことは意識していましたね。
 でも、何が何でも優勝するぞという意気込みとか、勝てるという自信はありませんでした。行けるところまで行こうという感じで。たぶん、及川、三部の方が貪欲にタイトルを狙っていたと思います。
 2回戦で明徳義塾高校のカットの石田悠選手に1対2で負けていて、そこで頑張って勝ててからはそんなに危ないところはありませんでした。及川との準決勝が精神的にも内容的にも一番の山場でしたが、気負いがなかったせいかいいプレーができました。あの時期は一番自信を持ってプレーしていましたね。

 自己分析は好きでよくするんですが、僕はどうしても右肩上がりで伸びていく時期に、そのまま突き抜けないで一休みしてしまう癖があるんですよね。
 たぶん、水谷さんとか健太さんみたいに強くなる選手はそこで休まないんで一気にトップまで行ったんですよね。インターハイの後、僕としては一休みしたつもりはないんですが(笑)、ちょっと伸び悩んだ感はありました。

 余談ですが、その年のインターハイには青森山田OBの町(飛鳥/ファースト)さんと森薗(政崇/BOBSON)さんがサポートで来てくれたんです。特に、前年のインターハイで負けた僕たち後輩を恨んでてもおかしくない森薗さんが、初日から最終日までフルでサポートに来てくれて、それには本当に感謝しました。人としての器の大きさに感動しましたね。この人すごいなって。僕が三冠を取った時にはちょっと怒ってましたけどね(笑)

「狙っていなかった」という男子シングルスのタイトルで三冠を決めた

男子ダブルスは後輩の三部とペアを組み優勝

選手たちと家族、そして、先輩の町と森薗と記念撮影



 ドイツでの経験を糧に、青森山田のエースとして三冠王に輝いた坪井。次回、最終回では大学進学以降、今日に至るまでを振り返ってもらうとともに、自身の課題と今後の目標を聞いた。

(取材=卓球レポート)

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