高校3年生でインターハイ三冠王という輝かしいタイトルを手にした翌年の2015年から、バタフライ・アドバイザリースタッフに名を連ねている坪井勇磨に、卓球レポートでは初となるインタビューを行った。
第4回は、筑波大学への進学、そして、社会人になってからの生活について聞いた。
インターハイ三冠王が筑波大を選んだ理由
--青森山田高校卒の選手としては、筑波大は異色の進学先でしたね?
自分としては、異色という意識はありませんでしたが、教員をしていた父の影響が大きかったと思います。教員は小さいころからの憧れの職業だったので、教員免許を取ることが筑波大に入った一番の目的でした。また、筑波大は卓球にも本気で取り組める環境だったので、進学先として選んだことは自然なことでした。
教員免許を取ったら、卒業後はプロになって、引退後の生活の心配などをせずに、思い切って卓球に専念したいっていう考えが強かったですね。大学で勝つことももちろん大事だったんですけど、僕にとっては「大学はプロになるための準備」という意味合いが一番強かったんです。
大学生って、高校までとは違って、どの大学に行っても自分次第っていうところが大きいじゃないですか。青森山田と同じような環境でやり続けられるところがあれば、そこに行ったかもしれませんが、僕が知っている範囲では、卓球もしっかりできて、後のキャリアの準備もできる筑波大がいいと思ったんです。
--卓球選手としては、筑波大はどのような環境でしたか?
今振り返ると、もっと大学の4年間で強くなって上のレベルに行きたかったという思いもありますが、ある程度やりたいことはやれたと思います。
筑波大の卓球部は競技レベルにばらつきはありましたが、どのレベルの選手もモチベーションは高く、とてもいいチームでした。その中でも自分は競技レベルが高い選手として、練習やトレーニングに取り組む姿勢を見せなくてはならないという意識で、練習量をある程度確保して、トレーニングも欠かさずに取り組んでいました。練習への取り組み方や試合のプレーぶりで、チームの意識を変えようと僕なりに頑張った部分はあります。
また、監督とコーチ陣も高い目標を持って指導に当たってくれました。安藤監督や野中先生も、ただ大学の試合で勝つだけではなく、高い目標を目指すようなコーチングをしていただけたのはよかった部分だと思います。
1、2年生の時には、チームメートとうまくコミュニケーションできない時もありましたが、3、4年生の時にはキャプテンやらせていただき、チームメートとストレスなくコミュニケーションできるようになっていましたし、周囲の理解も深まってきて、チーム元来のモチベーションの高さプラス勝つためにはどうするかという具体的な課題を持って、卓球に取り組むことができるようになってきて、インカレでベスト4に入るなどレベルも上がってきていたと思います。大学の4年間は楽しかったですね。
あと、筑波大でよかったのは、他の競技のトップアスリートがたくさんいて、サッカー、バレーボール、陸上、柔道などのトップ選手と情報交換できたり、友人関係になれたりして、視野が広がったのはよかったと思います。
また、アスリート以外でも、アスリートをサポートするコーチやマッサー志望の学生もいましたし、それまで、卓球しか知らなかった自分には新鮮でした。選手生活が終わってからも役に立つような知識、視野の広さというのを身に付けることができたので、筑波大に進学したことは今でも間違ってなかったと思います。
「今できることをやりきって、大きな目標に近づいていきたい」と坪井
おそらく私たち卓球レポート取材陣もおぼろげに感じていた坪井の「欲のなさ」を本人が口にしてくれたことで、一気に坪井勇磨という卓球選手への理解が進んだ気がした。彼自身が感じているように、トップアスリートとしては欲が少ない方なのは事実だろう。だが、その半面、慎重さ、考える力に非常に秀でた選手だということもわかった。分析的な語り口に加え、インタビュー後の雑談では、体の使い方に関して、驚くほど専門的な深い考察を披露してくれて、取材陣も時間を忘れて聞き入ってしまったほどだ。
そうした分析力、洞察力が卓球選手としての目標を叶えるために総動員されれば、「大きな目標」が「身近な目標」になる日もそう遠くないのではないだろうか。
(取材=卓球レポート)