1. 卓球レポート Top
  2. インタビュー
  3. 選手インタビュー
  4. 高木和卓インタビュー(前編)

高木和卓インタビュー(前編)

 青森山田中学校、高校を卒業後、15年の長きに渡り実業団チームのトップに君臨してきた東京アートの主軸として活躍してきた高木和卓。2022年全日本卓球の熱気が落ち着いたころ、2月中旬に突如届いた東京アート卓球部休部のニュースに驚いた卓球ファンは少なくないだろう。高木和もこの知らせに、最も驚き、ショックを受けた1人だった。
 このインタビューでは東京アート時代を含め、高木和の卓球人生を振り返ってもらうとともに、これからの展望を語ってもらった。前編では、主に東京アートについての話を聞いた。

--休部は部員にも急な知らせだったと聞いていますが、高木和選手はこの知らせをどのように受け止めましたか?

 高校を卒業してすぐに東京アートに入社して、33歳になったんで、15年いたことになりますね......。
 2月10日に東京アートのグループLINEに大森監督(大森隆弘東京アート卓球部監督)から連絡があって、そこで初めて知りました。そういう気配も何もなかったので、驚きました。
 休部ということですが、1年間は練習場が使えて、僕は正社員なので給料も出していただけることになっています。来年の3月に辞めてもいいし、僕ら社員は会社に残って仕事してもいいという条件は出していただいています。
 ただ、東京アートとして団体戦にはもう出られませんね。試合に出る場合は個人戦も自費負担になります。

 コロナ禍で会社も大変な時期なのは分かっていましたが、僕たちは業務には携わらずに、卓球だけやらせてもらっていたので、頑張って成績を残そうという気持ちでやってきました。
 だから、ショックというか、ショックを通り越して、休部と聞いてから2週間くらいはポカーンという感じでしたね。実感が持てなくて......。(※インタビューは3月8日に行った)
 今もまだ若干ピンときてません。東京アートの卓球部がなくなるということが......。認めたくないし、信じられないという気持ちがまだあります。まだ、考えたくないのか、気持ちの整理はついてないですね。

--東京アート卓球部はそれだけ大きな存在だったということですね?

 15年間ずっと卓球だけやらせてもらっていたので......。僕が結婚して9年ですから、家族よりも長くいたチームです。僕にとっては第2の家族みたいな存在ですね。

--東京アートはどのようなチームでしたか?

 実績のある選手が多いので、自分のペースで行動する人が多いですね。みんなが一匹狼というか。  練習の時はみんなが集まりますが、すぐに帰る人も、残って練習を続ける人もいて、その辺は自由でしたね。疲れていたら練習を休むこともありますし、個の自由が許されたチームだなというのは感じていました。

--15年の間にはいろいろな選手と一緒にプレーしてきましたね。

 最初は遊澤さん(遊澤亮)、大森さん、韓陽さん、お兄ちゃん(高木和健一)、張一博さん、田中雄仁さんたちがいましたね。
 入れ替わってきて、大矢(大矢英俊/ファースト)、塩野君(塩野真人)、水野君(水野裕哉)、韓陽さんもまだやってましたね。大矢とか塩野君が入ってきた次の年くらいに大森さんが選手を辞めて、そのちょっと前に遊澤さんが辞めましたね。塩野君、大矢、水野君、一博と僕の時間が一番長かったかな。
 入社2年目の実業団(全日本実業団卓球選手権大会)で、1回戦から決勝まで全部1番で使われて、それが今でも一番印象に残ってますね。
 入ったばっかりなのにすごい使うなというか(笑)。僕は全勝できて、それで優勝もできて、みんなに認めてもらえたかなというのはありましたね。
 去年(2021年)は最後の年になってしまいましたが、5年ぶりに全日本卓球選手権大会団体の部、後期日本リーグ、ファイナル4も優勝できて、今思えば有終の美が飾れたのはよかったですね。終わるとは思ってなかったので、みんな「よっしゃー、これからだ!」って感じでしたけどね(笑)

入社2年目の高木和が東京アート優勝の流れを作った(2008年第58回全日本実業団卓球選手権大会)

最後の団体戦となった2021年のファイナル4では有終の美を飾った

--15年も1つのチームで頑張れた理由はなんですか?

 自分でこんなこというのも何なんですが、僕が辞めて東京アートが弱くなるのを見たくないっていう思いはずっとありましたね。心配とも違うけど、僕がやれるうちはこのチームは強くあってほしいというのはすごくあります。
 このまま卓球だけやらせてもらっててもいいのかって考えたこともありましたが、チームも僕も強くありたいという思いがあったので、それが原動力になっていましたね。
 チームもだし、東京アートという会社にも、僕らが強くあることでしか恩返しできないから、常に強くあることで貢献したいという思いがありましたね。
 だから、休部という決断を下した会社に対しては今も感謝しかありません。調子が悪い時もありましたが、ずっと面倒を見てくれましたし、感謝しかないです。

--会社のトップの理解もあったチームでしたね。

 それはすごくありましたね。三木正市会長のおかげで卓球部があれだけ強くいられたと思うし、会長の理解とか支えはすごくありますね。ほとんどの試合、会場に足を運んで、僕らの試合を見てくれて、本当に卓球が好きだったと思うし、僕らにも期待してくれていたと思うので、終わってしまうのは本当に寂しいですね。
 でも、社会があって、会社があって、卓球部があったんですよね。東京アートだけではありませんが、会社ありきの卓球部だったので、休部という決断はしっかり受け止めて、頑張りたいと思っています。

--高木和選手自身のこれからについて、何か決まっていることはありますか?

 正直、本当に分からないです。声をかけてくれるチームがあるかどうか分からないですし、年齢も年齢ですし、分からないですね。でも、もう少し現役でプレーしたいとは思っています。
 欲を言えば、強いチームでプレーしたいというのはありますね。勝ちにこだわらないチームでやってもモチベーションを保つのが難しいですし、日本リーグでもTリーグでも1位を目指すチームでプレーしたいですね。
 会社員という選択肢もあるにはありますが、ここまで卓球にずっと携わってきたので、これからも何らかの形で携わっていきたいとは思っています。もし、現役でプレーを続けることがかなわなかったら、指導者も視野に入れてやっていきたいですね。

-チームメートの小西海偉選手の存在が励みになったりしませんか?

 そうですね。小西さんの前で「自分はもう歳だから」とか絶対に言えないですよ。あの人は本当にすごくて、我が道を行くじゃないですけど、自分のペースであそこまでできる人はいないと思うので、本当にすごいと思います。僕はあそこまで続けるつもりはありませんが、もうちょい選手としてやりたいですね。
 今シーズンはポーランドリーグのスポット参戦で契約できましたが、来年の3月以降のことはこれからですね。あと、今の段階で出場が決まっている試合は、9月の全日本予選ですが、国体の東京予選にも出るかもしれません。全日本の推薦もあるかもしれないので。

--選手としての引き際についてはどのように考えていますか?

 引退するなら東京アートで引退したいという思いはありましたが、こういう形になってしまったので。図々しい話かもしれないけど、区切りは自分で付けさせてもらいたいというのはありますね。勝てなくなっても続けるのは、この年になって特に、難しいと思うので、自分で区切りをつけたいというのはありますね。
 まだ、勝って終わっているし、全日本(2022年全日本卓球)でも張本(張本智和/木下グループ)と、張本のけがとか調子が悪いとかはありましたが、あんなにいい勝負ができるとは思っていなかったし、もうちょっと自分がどれだけ通用するのか確かめたいですね。
 あとは、これだけ卓球をやってきたので、ゆくゆくは指導者になりたいですね。
 指導は子どもでも大人でもトップ選手の指導をしたいですね。初心者に一から教えるっていうのはすごい時間がかかるし、やったら面白いかもしれないけど、今は考えていないですね。

高木和は張本に善戦し手応えを感じた(2022年全日本卓球)

--こんな指導者になりたいという指導者像はありますか?

 本当に長いこと卓球をやってきて、いろんな指導者に指導してもらってきたんですけど、僕自身はどんなタイプの指導者の下でも成長してくることができたと思ってるんですよね。
 この人みたいになりたいとか、こういう指導をしたいっていうのはありませんが、本当にいろんな指導者に教わってきて、いろいろな伸ばし方があるっていうのは体験してきているので、「この人に教われば強くなる」とか「この教え方はダメだ」っていうのはなくて、いろいろな指導方法があるっていうのだけは感じていますね。だから、こういう指導者になりたいというのも今はないです。

 吉田先生(青森山田学園の吉田安夫。故人)は技術とか打ち方に関してはほとんど何も言わなかったです。ただ、練習態度とか、試合に負けた時には厳しく言われましたけど、それくらいで。
 僕は結構かわいがられていたと思います。一回怒られた時に言い返したっていうか、自分はこう思ってるという意見を言った時も聞き入れてもらえましたね。まあ、自分は結果残してきてるからっていうのもあるでしょうね(笑)
 大森監督は、選手の自主性を重んじるというか自立心を高めるタイプの指導者ですね。無駄なことを言いません。自分の世界を持っている選手に余計なことを言わない。
 指導する相手によってもベストの指導法っていうのは違ってくるでしょうね。

高木和の言葉のひとつひとつから東京アートへの思いが伝わってきた

 次回は卓球一家に生まれた生い立ちから、青森山田中学校・高校、そして、東京アートと、トップ選手の道を走り続けた卓球人生を振り返ってもらう。(後編はこちら

(まとめ=卓球レポート)

\この記事をシェアする/

Rankingランキング

■インタビューの人気記事

NEW ARTICLE新着記事

■インタビューの新着記事