アスリートには、それぞれの競技人生の中で大きな選択を迫られるターニングポイントがたびたび訪れる。そのときの判断がその後の競技人生を大きく変えることも少なくないだろう。進学か、就職か。国内か、海外か。アマチュアか、プロフェッショナルか。引退か、続行か......。
このインタビューシリーズでは、今、転機を迎えている選手たちに焦点を当て、なぜその道を選んだのか、その決意に至った理由に迫る。
笠原弘光インタビューの後編では、一度失ったモチベーションを取り戻すに至ったエピソード、また、盟友・水谷隼(木下グループ)が笠原にとってどのような存在だったかなどについて聞いた。
--いつまで現役でプレーしたいと考えていますか?
今2歳になる息子がいるんですが、その子に物心がついて、僕がプレーしているところを覚えていられるようになるまでは続けたいというのが一番の目標です。
できるだけ長くやりたいとは思っていますが、実際にはプレーさせてもらえる環境があって、自分でやりきったと思うところまではやりたいですね。
正直に言って、シチズンを辞めたタイミング(今年の3月)で引退という選択肢もなくはなかったと思うんですよ。でも、ここで終わりたくないっていう思いがありましたし、全日本が無観客だったのもまだ辞めたくないって思った大きい理由のひとつですね。最後はやっぱりお世話になった方々に自分のプレーを生で見ていただきたいっていうのもあって、自分の中では今年で辞めるというのは考えられませんでしたね。
これから海外に行って、そこで自分がどういう気持ちになるかも分かりません。全然勝てなくてまったく声がかからなくなるかもしれないし、めちゃくちゃ勝って次のオファーをもらうかもしれないし、どうなるか分かりませんね。どうなっても不安はありませんが、勝ちたいという気持ちがある限りはやりたいですね。
--勝ちたいという気持ちがなくならければ、何年でも続けられそうですね。
実は、それが一回なくなりかけたんですよ。
全日本(平成29年度全日本卓球選手権大会)のラン決(ランク決定戦。5回戦)で田添(田添健汰/木下グループ)に負けたことがあって、その時に負けたのに何にも悔しくなかったんですよ。そんなこと人生で初めてで、自分でも驚いて......。
その時もう協和キリンでは自分が一番年上で、団体戦も出たり出なかったりで、仕事もある程度していて、「ああ、こうやって気持ちがなくなって辞めていくのか」と感じている部分がありました。
協和では田㔟さん(田㔟邦史)、坂本さん(坂本竜介)、下山さん(下山隆敬)、小野さん(小野竜也)と4人の先輩の引退を見てきていたのも大きかったかもしれません。下山さんなんてすごい自分に厳しい人でしたが、選手時代の最後の方はなんだか楽しそうに卓球をやっているように見えたんですよね。それがダメだとは全然思いませんでしたし、仕事もやり甲斐が出てきたりして、自分もそういう感じになって辞めていくのかもしれないと思うようになっていました。だから、僕も田添に負けた時に、ああ、こういう感じであと1年くらいは悔いが残らないようにやって、辞めていくんだなってちょっと思ったんですよ。
でも、翌年にシチズンに行くことが決まった時に、卓球だけでやっていこうっていう気持ちがもう一回帰ってきたんですね。闘争心というか勝ちたいという気持ちが帰ってきたんです。
--よく奮い立ちましたね。
自分でも異常だと思います(笑)
田添に負けた時に思ったんですよ。このままこの会社で仕事していくのかな。負けて悔しさも湧いてこないような状態で辞めていいのかなって。
でも、自分がやってきたことはその程度のことだったのかなって考えたら、やっぱり辞めるっていう考えは受け入れられなかったんですね。こんなのは自分じゃないって。こんな情けない形で終わらせたくないって思いが出てきて。
ちょうどそのころ、誠さん(伊藤誠)から声をかけていただいて、シチズンでやることになったんです。そこからはめちゃくちゃ変わりましたね。
シチズンで出た最初の試合がビッグトーナメントでしたが、「負けたら終わる」という思いで、めちゃくちゃ手が震えました。契約社員ではありましたが、卓球だけをやらせてもらっていたので、ある意味プロでしたから、そういう緊張感があったんだと思います。練習もそれまでとは緊張感が違いましたね。負けたくないという思いが、前にも増して強くなりました。
インタビュー中、私たちのいた一室のドアをノックする音が聞こえた。誰もが予想していなかったが、ノックをしたのはテレビ番組の収録で株式会社タマスを訪れていた水谷隼(木下グループ)だった。同級生でもあり、数々の熱戦を繰り広げたライバルでもある水谷の予想外の登場に、笠原の表情はにわかに和らいだ。
水谷は旧友と軽く言葉を交わすとすぐにその場を去ったが、インタビューの話題は自然と笠原と水谷との関係に移った。
--選手としての水谷隼はどんな存在でしたか?
彼とは、よく練習しました。彼が練習相手を探していた時があって、トレセン(味の素ナショナルトレーニングセンター)でよく練習しましたね。だから、試合で当たると、結構いい勝負になったんじゃないかと思います。
ただ、やっぱりずっと別格の存在だったので、背中を追っていましたね。こいつに勝てば優勝できる、一番になれるという思いで頑張れた部分はあったと思います。一番強い選手が身近にいたことは、モチベーションになっていましたね。
だから、せめて1回は勝ちたかった(笑)
ホープスから始まって、全中で2回、全日本ジュニア、インターハイ、高校選抜、関東学生リーグで2回、インカレ、全日学、全日本で2回、トップ12で2回。14回負けています。
向こうが苦しい場面もあったと思いますが、とにかくボールが返ってくるんですよ。水谷のすごいところは、返ってくるだけじゃなくて、いいボールを打たせてもらえない、ちょっと甘くさせられるんです。彼の場合は、全力で打たせさえしなければ十分で、次のボールを狙ったり、立て直したりできる力があるので、そこは大きな差だったと思います。
--同い年の水谷さんの引退についてはどう思いますか?
日本人では初めてオリンピックで金メダルを取って、今はタレントとして活躍してて、卓球選手として新たな境地を切り開きましたよね。卓球以外でもやっぱり何か持ってるんだなと思います。
選手としては、東京オリンピックでメダルを取ったのはもちろんすごいけど、あれが僕らが知っている一番強い水谷隼ではなかったじゃないですか。僕たちは、東京大会(世界卓球2014東京)のオフチャロフ(ドイツ)戦やクアラルンプール大会(世界卓球2016クアラルンプール)のピッチフォード(イングランド)戦、リオオリンピックとか本当に強い水谷隼を知っているので。
たぶんそれ以降は、限界を超えた中でずっとやってきて、オリンピックで金メダルという最高の結果を残したんだから、僕が言うことは何もありませんね。別格のままでいてほしいと思います。
1回くらいは勝ちたかったですけどね(笑)
--思わぬ来客のおかげで興味深いお話が聞けました。使用している用具についてもお聞かせください。
ラケットはZLカーボンのアウターで、「水谷隼 ZLC」をベースにしています。グリップは張継科シリーズのFLですね。グリップの素材が変わると結構感覚が変わってしまうので、ずっとこのグリップで作ってもらっています。違和感なく使えるグリップですね。
他のラケットもいろいろ試しましたが、結局このラケットに帰ってきますね。7枚合板とかCNF(セルロースナノファイバー)やZLファイバーなんかも試しましたが、フォアの弾みが足りなくて、結局ここに戻ってきます。
このラケットの特徴は、ひとつは飛びのよさですね。コントロールするのは苦手ではないので、僕が大事にしているのは打球感の良さと弾みです。アリレート カーボンだと、バックハンドはよくてもフォアハンドで物足りないので、結局このラケットに落ち着いています。
ラバーはフォア面がディグニクス05でバック面がディグニクス09cです。ディグニクス05は弾むラケットとの相性がいいですね。飛ぶし、回転もかかるのでいいボールが打てます。ディグニクス05は最初に使った時に「これだ!」と感じてからずっと使っています。
ディグニクスがすごいのはカウンターのときに、相手の回転がかかったボールに対して結構薄く当ててもボールが落ちずに回転がかかるところですね。あと、ディグニクスはテナジーより飛ぶっていう選手が多いと思うんですけど、僕はコントロールがしやすくて、台上もやりやすいし、サービスもディグニクスの方が回転がかかるんですよ。
僕の感覚では、ラケットで飛ばして、ラバーでコントロールできるので、すごく使いやすい組み合わせです。
--最後に今後の目標をお願いします。
全日本は出ると思いますが、3位までは行ったことがあるので、もう一度表彰台に上がりたいですね。表彰台に上がった時の気持ちは今でも忘れられないので、もう一度上がりたいです。難しいとは思いますが、目標にしない限りは達成できませんから。
あとは、卓球という仕事の中で、自分の存在感を出していきたいということと、自分が納得して終わりを迎えたいということですね。海外でチャレンジしていく中で、何かを感じて、選手として以外の部分でも、これからの人生に役立つ何かが得られればいいと考えています。
最近は卓球以外のスポーツを見たり、卓球以外にも触れる機会を意識的に作ったりもしているので、そこからまた卓球に生かせるような何かを感じていきたいですね。
このインタビューでは、学生の頃のひたすらストイックだった笠原が、社会人としてのさまざまな体験を経て、また帰ってきたような印象を受けた。
自分のペースで、好きなだけ練習できる学生時代とは異なり、社会人としてプレーする中では、卓球だけに打ち込めないもどかしさもあっただろう。だが、そうした時期を経験したからこそ、卓球だけに打ち込める今を、笠原は誰よりも深く味わっているのではないだろうか。
(まとめ=卓球レポート)