「卓球界の賢人」こと上田仁が、その確かな実力と見識をもとに、さまざまな質問に答える人気企画「教えて!上D(ウエディー)」が復活!昨年の8月から日本を離れ、ドイツに拠点を移した上Dが、卓球についてはもちろんのこと、ドイツやヨーロッパ各地への転戦の日々についても伝えてくれます。
今回は、ドイツに渡って得た勝負観について語っていただきました。
Q.ドイツに渡り、勝ち負けに対する捉え方は変わりましたか?
以前、卓球レポートで行ったインタビューで、「プロとして『勝ち負けだけじゃない』と声を大にして言えなかった」という葛藤が印象的でした。今はどうでしょうか。(さすが班長:卓球レポートスタッフ)
A.自分がプロであり続けたい以上、「どれだけ負けても引退するつもりはない」と今は言える
プロは試合で勝たなければ評価されません。それは当然なのですが、ドイツに来てからは「勝ったからやりがいを感じ、負けたから嫌になるのは違う」と思えるようになりました。
ドイツに来る前の自分は、とにかく自分が思っていることを人に話すことが苦手でした。周りの人がどう思うかを忖度(そんたく)して、思うところがあっても言えずにいることが多かったですね。
例えば、正直に話すとTリーグに実業団の選手や学生が出場できると知った時は信じられませんでした。ただでさえ海外から世界トップクラスの選手たちが参戦する中、プロとして生き抜くためにはライバルが多すぎるし、話が違うと。
しかし、そういうことは結果を出していない状態では言いたくなかったし、言えなかった。冷静に考えれば、ただの言い訳に過ぎないことが分かっていたからです。自分が彼らと競争する立場でなければ、実業団選手や学生がTリーグに出場できるのは日本卓球界の発展のためになると素直に思えたでしょう。でも、当時の自分はプロ選手としてどう生き残っていくか常に必死で、同じチームメートでさえ、みんなライバルに思えていました。振り返ってみると、たとえ日本代表でなくても試合で勝てていなくても、プロとしての自分の存在を認めてもらいたかっただけだったのだと思います。
学生の頃は、水谷さん(水谷隼)など自分よりはるかに実績のある方々だけがプロとして生きていけると思っていました。しかし、Tリーグができたことによって、思いがけず自分もプロになれてしまった。
卓球は、野球やサッカーのようにプロ選手が多くない世界でしたから、思いがけずプロになることができて、こんな自分でもプロなのかと何度も悩みました。加えて、プロとして生きていく以上、ある種なりふり構わず選択することも必要だったと思います。でも、自分は協和キリンをやめた以上、「絶対に別の実業団チームにはいけない」と思っていたし、そういう考え方が自分自身を苦しめていたのも事実です。
自分がプロとして割り切って生きていくことがしにくい性格であることは自覚していますし、それは今でも変わりません。でも、それが自分自身だし、今回のように「自分の中の考えを誰かに言うことは全く悪いことではない」とドイツに来て気が付くことができました。言えないで自分の中にしまっておくと、自分の気持ちがどんどんわからなくなってしまうので。
今、日本ではプロ選手が日本リーグに出場できたりするので試合の場が増えています。それは、日本の卓球界の発展や強化のために良いことだと思いますし、今は覚悟を持ってドイツにいますが、将来的には日本に活動の拠点を移すかもしれない自分にとってもありがたいことです。
たとえ、チームから「選手としてはもう契約できない」と通告されたとしても自分が卓球選手であり続けたい限り、どれだけ負けても結果が出なくても引退するつもりはないと今は言えます。
今の自分は、選手を続けようとする以上、その方法をどん欲に探すでしょうし、そうした姿勢もプロとして決してかっこ悪くない生き方だと思えます。
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(文/写真=上田仁 まとめ=卓球レポート編集部)