2022年全日本卓球で初優勝に輝き、幸先の良いスタートを切ったパリ五輪の国内選考だったが、その道のりは戸上隼輔(井村屋グループ)にとって長く険しいものとなった。苦しみながらも手中に収めた五輪代表の切符は、戸上をどこへ導いたのか。
パリ五輪を振り返るインタビューの後編では、男子団体で大きな分かれ道となった準決勝のスウェーデン戦と、メダル決定戦となったフランス戦、今後の抱負などについて聞いた。
4ゲーム目からずっと白黒の世界だった
----戸上選手が敗れはしましたが、まだ2対1で日本がリードしていましたね。
戸上 篠塚(篠塚大登/愛知工業大学)と張本(張本智和/智和企画)に勝ってほしい気持ちはすごくありましたが、やっぱり自分が負けたショックは大きかったです。4ゲーム目から白黒の世界で、自分の視界の色がなんか白黒になっちゃって。4番、5番もずっと色がなくって、なんかすごくボーっとしちゃっているような感覚でした。
----これまでそのような状態になったことは?
戸上 いや、ないですね。頭がが真っ白になって、何も考えられない、みたいな。でも、もう自分には応援することしかできないと思って必死に応援していたんですけど、ショックは大きかったですね。
気づいたら一つのところしか、一点しか見えない、そんな感じでした。
メンタルサポートなどは受けて、このオリンピックでどういう気持ちで戦うのかなどいろいろ想定していましたが、まさかこんなことになると思っていなかったので、本当にびっくりしました。もう頭をたたいてもらうしかなかったんじゃないでしょうか。「起きろ!」って。
後半は「ここで自分が負けたら本当にやばいことになる」って思って、カールソンとの試合に入って、4番篠塚とモーレゴードは前回篠塚が勝っていますが、このオリンピックではモーレゴードが(男子シングルスの)銀メダルを取っていますし、張本とアントン(ケルベリ)は毎回競っていて負けたこともありますし、張本と相性が悪いイメージもあって、自分が断ち切らないとって、無駄に重荷を背負ってしまって、それがちょっとダメだったのかなと思います。
----戸上選手の中で、後半に回したら日本が不利だから、回したくないという思いが強かったのでしょうか?
戸上 そうですね。本当に自分が勝たないといけない、チームとしても監督のオーダーの狙いというか、K.カールソンが来たのであれば自分が勝たないといけない、みんな期待して見てくれていたので、勝たないといけないという思いはありました。2対0で回ってきたんだから、俺がつかみ取ってやるぞみたいな。
全てはもう3番ですからね。どう見たって期待するでしょ。自分に2対0で回ってきたら。その前日のこともあるし、中華台北戦で3番高承睿との試合もすごく調子よくプレーができていたので、スウェーデン戦も負けたくないなと思っていました。
「勝ちたい」じゃなくて「負けたらダメ」で入ったのが悪かったのかもしれないですね。
張本対ケルベリは見ていて怖かった
----5番の張本選手はケルベリに2対0といい内容でリードしていましたが、この試合はどのように見ていましたか?
戸上 途中までは勝つと思っていました。でも、正直、怖かったですね。2対0になっても3ゲーム目でアントンも後がない中で振り切ってきていたし、全く1、2ゲーム目と違うような姿だったので。1、2ゲーム目は張本が勢いで持ってきたけど、その勢いも3ゲーム目で途絶えてしまった感じもあったので、見ていて怖かったっていうのは正直ありました。
----現場で見ていて、試合の流れの変化は感じましたか?
戸上 1、2ゲーム目はそこまでラリーはしていなくて、アントンがちょっとサービス・レシーブ、3球目、4球目でミスして全て終わってしまっているような感覚がありました。1番のダブルスに出てから、5番ですから、すごく間も空いていたし、試合の感覚が全くなさそうな雰囲気でしたが、3ゲーム目以降どんどん挑戦して振ってきていたので、4ゲーム目5ゲーム目になるにつれて本当に雰囲気がガラッと変わって、張本の回り込みフォアハンドとかフォア対フォアで勝ち切ることがどんどんなくなってきていて、それがアントンの自信につながっていったのかなと思っています。
最終ゲームは0-2スタートでタイムアウトを取って、かなり悪い流れだなと思いましたが、そこから3-2に巻き返して、その後6-3とリード。そこからいつの間にか7-8になって、このまま逃げられてしまうのかなと思いましたが、張本が底力で9-8に持っていって、その後の4本が脅威すぎました。張本も下手にバックへ山なりのボールを打つと、アントンに回り込まれてストレートに行かれてしまうっていうイメージを持ってしまったと思うんですよ。僕たちも思いました。狙ってきているなって。フォアサイドにあまり行けていなかったので、そこを狙われているなと。結局最後も3球目で迷ってしまって。本当に張本の立場から考えると9-8からアントンは大きく見えたのかな、と思います。
アントンも攻撃力が高いし、最後のゲームはバック対バックからアントンが回り込んで押し続けるような展開もあったので、それで難しいボールに対して張本も回り込んでいってしまったり、プレッシャーもあったのかなと思いますね。アントンから出ているプレッシャー、攻撃力の圧ですね。
----お話をうかがっていると、他の選手の試合は比較的冷静に見られていたようですね。
戸上 そうですね。なんだかんだで人の試合っていうのは、ここを狙われているとか、ここに打つといいのいいなっていうのは、ぼーっと見ていても分かるもんですね。
相手の表情もベンチから見えるので、こういう表情しているのになんで行っちゃうんだろうとか思うこともあります。
例えば、相手があまりラリーで自信がなさそうで表情も良くないのに、強打して一撃を狙いに行ったりとかですね。とにかくつないでおけば点数が取れているような展開なのになんで行っちゃうんだろうっていう。それは自分にも言えるんですけど、客観的に見ると意外と見えたりするもんですね。
----そこは試合中の自分を客観的に把握するようになれる伸びしろとしては可能性はありそうですね。
戸上 そうですね。ほかの選手の試合からも本当に学ぶことがたくさんあります。
前を向くために頑張ろうと思った
----銅メダル決定戦のフランス戦のA.ルブランとの試合は、0対2で回ってきましたが、どのように臨みましたか?
戸上 ダブルスを落として、0対2で回ってくることは、想定はしていました。正直、自分自身もA.ルブランに良いイメージをあまり持っていませんでしたが、試合前、直近でA.ルブランと対戦した張本がいろいろアドバイスしてくれて、こうやってやった方がいいんじゃないとか、僕からも自分はこうやったんだけど、こっちの方がいいかなってちょっと聞いたりとか、その時の状況と照らし合わせてくれて、そういう話をしてくれたので、それがうまくいきました。
僕がザグレブ(WTTコンテンダー ザグレブ)でやった時は、サービスをいろいろ出されてしまって、ずっとレシーブをチキータで狙っていましたが、かなりレシーブミスが多くて、ラリーに行く前にすぐ失点してしまったり、ラリーもなかなか点数が取れず、あまりいいところが出せませんでした。
今回はどんなサービスに対しても、ストップをメインにやった方がいいよ、と張本が言ってくれて、A.ルブランは台上がそこまで上手くないので、ハーフロングがちょっと高めに出てきたボールを狙うという戦術を意識してうまくはまったな、という感じです。
最後まで無理することなくレシーブができました。レシーブの失点も少ないはずです。
----田㔟邦史監督とはどのような事前にどのような話をしましたか?
戸上 例えば、張本と話したことを田㔟さんに伝えて、それで田㔟さんのアドバイスも同時にいただいて、ラリーをするよりかは4球目までの展開をつくろうという話を田㔟さんとしました。
WTTザグレブは田㔟さんがベンチで見てくれていたので、客観的に見てどういう試合だったのかっていうのを聞いて、それを自分の中で解釈して、じゃあ、こういう方がいいですねとコミュニケーションを取っていました。
張本とA.ルブランの試合も観客として見ていて張本がやっていたことも分かっていたので、「張本はこう言っています」と言ったら「確かにそうだよね。自分の試合の時はこうやってレシーブがうまくいかなかったし、サービスもいろいろやりすぎて自分で自分を困らせちゃってたよね」っていうのもあって、「できるだけシンプルに順回転のサービスを多めに出した方がいいんじゃない?」という戦術を田㔟さんからも出してもらえて、3人の戦術が一致しました。
----2対0で回ってきたスウェーデン戦とは全く逆のシチュエーションでしたね。フランス戦では0対2で回ってきて、なんとしても後半につなぎたいシーンでした。
戸上 そうですね。正直、このまま終わらせたくないと思いました。このままでは次のオリンピックまでの4年間、これからの生涯、すごく悔いが残ると思いましたし、自分が成長するためにこの試合を絶対に勝って次につなげるために頑張ろうと思いました。4番は張本だったので、自分が勝てば2対2にしてくれる。それでやっぱり5番は何があるか分からない。そこで篠塚にも全身全霊頑張ってもらう。そのために絶対自分がつなげるという思いを持って試合をしました。
----4番の張本対ゴズィー、5番の篠塚対F.ルブランは、どのように見ましたか?
戸上 4番はちょっとヒヤヒヤしましたね。1月にあったドーハ大会(WTTコンテンダー ドーハ)で張本とゴズィーが試合をしていましたが、0対2の3-7負けから大逆転勝利していたんですよ。だから、張本がそこまで得意とする相手ではなかったんですよ。試合の流れも本当に差はなく、互角の試合で、ラリーも多かったし、すごい試合をして盛り上げてくれて、5番に向けていい流れを渡してくれたと思いました。
5番の試合も立ち上がりこそ悪かったんですけど、それでも3ゲーム目、マッチポイントを取られている中でしのいで、4ゲーム目も本当に苦しかったと思うんですけど、すごい何度もマッチポイントを取られながら耐えて耐えて耐えて......。それでも最後は負けてしまったんですけど、すごい試合を見せてくれたなと思いました。自分じゃあんな試合できないなと思っていました。
----男子団体の4位という結果はどう受け止めましたか?
戸上 受け止めるのにも結構時間は必要でしたね。自信はあったし、悔しいという気持ちだけじゃ表せないような感情を持っています。
----パリで得られたものがあったとすればなんでしょうか?
戸上 やっぱり自分の弱点を改めて痛感しましたね。こういう大舞台で大事なときに大事な局面での自分のメンタルだったり、自分の戦術っていうのはまだまだ未熟だったし、もっともっと成長できるなっていうのを感じることができた。そんな大会でしたね。
----最後に、これからの抱負を聞かせてください。
戸上 このパリオリンピックは本当に苦い思い出になってしまいましたが、負けたその日の夜にはもう新しい目標ができていました。それがやっぱりロスのオリンピックで必ず出場してメダルを獲得して、次はメダルを持って日本に帰ってきたいって、そこで覚悟を持って決めました。もっともっと強くなるためにこれからも努力を続けたいなと。
オリンピックは、ここに懸けてきている分、負けてラケットを置いたり、競技から離れてしまう人がたくさんいるじゃないですか。その気持ちがすごく分かったんですよね。こんなに厳しい世界にどうして入ったんだろうって、自分を呪うような気持ちにもなりました。同時に、オリンピックに何度も出ている選手を尊敬もして、自分も諦めずに頑張ってメダルを獲りたいと強く思ったので、まずは目先の世界ランクのトップ10入りっていうところを、第一の目標として頑張りたいと思っています。
----一卓球ファンの目線からすると「もう次の4年!?」と思います。次の4年に向けてネジを巻き直せるのはすごいと思いますが、休養などの選択肢はありませんでしたか?
戸上 休みは考えましたが、休んでいる暇がないぐらいのスケジュールを組んだのは自分なので(笑)
でも今は、休んでいる時間の方が怖いというか、何かしていないと考え過ぎてしまうので、だったらもうすぐ練習を始めて、試合をたくさんして、この反省を生かしていきたいと、ポジティブに捉えるようにしています。
「ノーメダルですいません」と自嘲気味なあいさつをしながら、うつむき加減で部屋に入ってきた戸上に、高承睿(中華台北)をストレートで破り、最高のホームで勢いづいたA.ルブラン(フランス)を猛々しい攻撃卓球で破ったファイターの姿を重ねることは難しかった。
毎度のことながら、戸上のこの「二面性」には面食らわされる。
「敗戦」を完全に受け入れ、潔く自分の敗因を語った張本智和とは対照的に、戸上はまだ、自身がいたという「白黒の世界」の片隅にいるかのようだった。言葉少なに初めてのオリンピックを振り返る戸上には、その選考の過程を含め、数日では消えないくらい深く大きな刻印が残されていると感じた。
だが、インタビューで熱戦の記憶をたどりながら、こちらが心配になるくらいゆっくり時間をかけて言葉を選んでいると思ったら、「質問、なんでしたっけ?」とあっけらかんと投げ返す様子に、トップ選手としては過剰とも言えるデリケートさと奇跡的に共存しているこのマイペースさこそが、おそらく戸上を希有な実力者たらしめている要因のひとつに違いないと、確信せざるを得ない。
これからの卓球人生でも、戸上が深刻な敗戦に打ちひしがれることは一度や二度では済まないかもしれない。だが、そのたびに私たちに「心配して損した」と思わせるようなマイペースさで立ち上がってきてくれることを願ってやまない。
(取材=卓球レポート、文=佐藤孝弘)