水谷隼は全日本卓球選手権大会の男子シングルスで9度の優勝を遂げている。これは最多記録だ。
初優勝は平成18年度全日本卓球選手権大会[2007年1月開催]だった。この時、水谷は高校2年生。それまで長谷川信彦(1967年世界チャンピオン)が持っていた18歳9カ月という最年少優勝記録を上回る、17歳7カ月で優勝を遂げた。(その11年後、平成29年度全日本卓球選手権大会[2018年1月開催]で中学2年生の張本智和が水谷を破って優勝し、14歳6カ月という驚きの記録更新がなされた)
平成18年度全日本卓球選手権大会で、水谷は4回戦から登場すると、森田侑樹に4-0、中野祐介に4-0、松平健太に4-1、木方慎之介に4-2で勝利し、最終日に駒を進めた。
準決勝の相手は田崎俊雄。田崎はペンホルダー表ソフト速攻型で、3大会連続でオリンピックに出場、日本男子が19年ぶりにメダルを獲得した2000年世界卓球選手権クアラルンプール大会(団体戦)ではメダルの立役者となった選手だ。
ベテランの域に入っていた田崎と高校2年生の水谷の準決勝は、白熱の試合となった。
田崎は、強烈なフリックにツッツキやショートを織り交ぜて水谷を攻め立てた。水谷は「(相手のフリックを)ブロックしてラリーに持ち込めば、自分のペースになると思っていました。だから、田崎さんのフリックを誘うように、サービスやレシーブを短くしていました」という戦術で臨んだが、「田崎さんのフリックは予想以上に鋭くて、ブロックできませんでした」と苦戦。「これではいけないと思い、田崎さんのバック側の深いところにボールを集めるようにしました」と戦術を切り替えた。そして、息詰まるような試合の末、ゲームオールジュースで水谷が勝利。田崎がマッチポイントを握るシーンもあった、薄氷の勝利だった。
決勝の相手は吉田海偉だった。全日本3連覇をかけて臨んだペンホルダードライブ型の吉田は、過去2大会と比べると不調の様子だった。水谷は、全日本で決勝に進むのは初めてだったが、全日本決勝の雰囲気にのまれることなく、「緊張はありませんでした。1台のコートで最後にプレーできるうれしさを感じていました」と、伸び伸びとプレーしていた。
そして、水谷はサービスで相手を崩して先手を取り、ラリー戦になっても打ち負けることなく、4対1で勝利。17歳7カ月の史上最年少優勝(当時)を成し遂げた。
優勝後、水谷はこんな言葉を残していた。
「僕の目標は、オリンピックでメダルを取ることです。その前に、全日本で勝たなければいけないと思っていました。日本で勝てなければ、世界では勝てませんから。今回の優勝で、将来の目標に向かうためにひとつの壁を乗り越えられたと思います。
そして、僕のもっと大きな目標は、卓球をメジャーにすること。そのために、観客をたくさん集められる選手になりたいです」
取材=猪瀬健治 文=川合綾子 ※文中敬称略