篠塚大登(しのづかひろと/愛知工業大学名電高校)が4月から新たにバタフライファミリーに加わった。世界卓球の日本代表選手など名選手を輩出している名古屋の名門・卓伸クラブから、強豪・愛知工業大学名電中学校に進学。中学校2年生の時には全日本卓球選手権大会カデットの部、14歳以下男子シングルスで初の全国タイトルを獲得。全国トップレベルの実力者がひしめく中で、主力としてチームを牽引してきた。
4月からは高校生になった篠塚に、これまでの道のりと新たな決意を聞いた。
高校教諭の父が卓球部の顧問に
「家族は卓球をやっていなかったのですが、高校の教師をしていた父がたまたま卓球部の顧問になって、それがきっかけで僕もやりたいと言って近くのクラブに通い始めました。父はスキー部の顧問になりたかったようですが、その学校にスキー部がなかったので、僕が卓球をすることになったのは本当にたまたまですね。
5歳くらいで地元のクラブに通い始めて、最初は遊びのつもりで練習していましたが、そのクラブの方に、もっと強くなりたいなら卓伸クラブに入るとよいと勧められて、小学校1年生から卓伸クラブに通うようになりました。それから、だんだん結果が出るようになっていきました」
もう8年前になるが、筆者が取材した平成23年度全日本選手権大会ホープス・カブ・バンビの部で、少年時代の水谷隼を彷彿とさせるような抜群のボールタッチのよさで眼を引くバンビの選手がいた。喜怒哀楽を隠さずにプレーする選手が多いバンビ世代にあって、サウスポー、柔らかいボールタッチ、大人びた淡々としたプレー態度が相まって、それは容易に「天才」という言葉を想起させた。それが小学校2年生の時の篠塚だった。それから1年に1回、この大会で彼の成長を見ることは筆者の密かな楽しみの一つになっていた。
果たして彼は、毎年この大会に姿を現し、小学校2年生以降、最低でもベスト16、最高で準優勝と上位進出は果たし続けたものの、タイトルに届くことはなかった。その理由と初の全国タイトル獲得については後述しよう。
木造を見て意識が変わった
「小学校高学年で結果が出始めて、愛工大名電中学校に声をかけてもらって入学して、親元を離れることになりました。ただ、僕は小学校の時から、それほど真剣に卓球に打ち込んでいるというわけではなかったので、なんとなく上を目指してはいましたが、自分なりに楽しめればいいかなという感じで、強くなるために努力しようとか考えたことはなかったんです。
でも、中学校に入って先輩の木造さん(勇人/当時・愛工大名電高校)を見てすごい刺激を受けました。木造さんの、どんな時も集中していて、誰よりも努力している姿を見て、僕も卓球に対して意識を高く持つようになりました。
高校生になってからは、また一番下の学年ということで部の仕事も多く、私生活も変わりました。プレーでも、自分はあまり声を出さないタイプですが、練習中から意識して声を出すようになりました」
名門中の名門である愛工大名電は、篠塚の卓球に対する意識を変えるのに十分な環境だった。篠塚は中学2年生の時にカデット14歳以下で優勝、自身初となる全国タイトルを手にする。同級生の濱田一輝(愛工大名電高)とペアを組んだダブルスでも優勝を果たし、見事に2冠を達成。名門の主力を担うまでに成長した。
張本智和という壁
そんな篠塚にも、避けて通れない選手がいる。それが同級生の張本智和(木下グループ)だ。同世代に張本がいるということは、多くの選手にとっては歓迎すべき事実とは言えないだろう。何度も行く手を阻まれたかつての篠塚も、そのように考えていた。
「小学生時代にはホープス・カブ・バンビで優勝を狙っていた2年生(ベスト8)、4年生(2位)、6年生(ベスト4)の時に張本に負けていて、『なんでこんな強いやつが同学年にいるんだ!?』と思っていました。
でも、今は同学年にいい目標がいてよかったと思っています。張本といい勝負ができるようになれば、世界にも通用するということなので、今はまだまだですが、これからどんどん差を詰めていきたいと思っています」
淡々と語る篠塚だが、その眼はそれまでよりも少し熱を帯びたように見えた。遠くにしか見えていなかった「世界」は、同級生である張本の活躍によってぐっと身近になった。その「世界」をどこまで手繰りよせることができるか、篠塚の挑戦はこれからだ。
天才肌が目指す正統派
サウスポーらしい巧みなサービス、センスフルなボールタッチから繰り出される意外性のある台上プレー、両ハンドの速攻、大胆な回り込みなど、多彩な技術と戦術の幅を持つ篠塚だが、自分ではプレーの特長をどのように捉えているのだろうか。
「自分ではあまりよくわかりませんが、ボールタッチがいいとは周りの選手にはよく言われるので、そこを見てもらえたらと思います。前中陣のプレーには自信がありますが、下がった時にパワーがある選手に負けてしまうので、今後は後陣でも勝負できるように練習したいです。
憧れの選手は張継科(中国)です。台上プレーもドライブも強くて、弱点がない。パワーがあって安定感もある。ああいうプレースタイルが好きなので、僕もあんな選手になりたいと思っています」
天才肌のサウスポーから飛び出したのは、意外にも正統派の右シェーク攻撃型のチャンピオンの名前だった。もう一つ意外だったのは、目指すプレーの方向性に確固たる意志を感じたという点だ。強い選手、強くなる選手ほど、自分の目指すプレーのビジョンが確立されているものだ。そして、そのビジョンが遠くにあればあるほど、それは伸びしろとなる。篠塚がそのビジョンに向かってどのような軌跡をたどっていくのかは、卓球ファンにとっては大きな楽しみの一つになるだろう。
『ビスカリア』+『テナジー05』は
ボールをしっかりつかんでくれる
4月からバタフライ・アドバイザリースタッフになった篠塚だが、長らくバタフライの用具を使い続けてきたという。バタフライとの契約でどのような心境の変化があったのだろうか。
「バタフライの契約選手は水谷隼さん(木下グループ)や松平健太さん(T.T彩たま)など、僕が小さい頃から見てきたとても強い選手ばかりなので、僕もそうした上のレベルの選手に追いつけるように頑張っていきたいです。
用具は『ビスカリア - FL』に、両面『テナジー05』を使っています。もともと軟らかめのラバーが好きだったので、今年1月の全日本卓球選手権大会まではバック面に『テナジー64』を使っていましたが、パワーもついてきて『テナジー05』の方が質の高いボールが出せると思い、変更しました。
『ビスカリア - FL』というアリレート カーボンのラケットに『テナジー05』の組み合わせは、ドライブの威力はもちろんですが、ボールをしっかりつかむことができるので、相手のドライブに対してカウンターするときにも使いやすいです。カウンターが得意、カウンター主体でプレーしたいという選手にお勧めです」
通常(アウター)仕様の『アリレート カーボン』に『テナジー05』は、ボル(ドイツ)が長年愛用してきた組み合わせだ。この王道とも言える用具が、篠塚のプレーの今を支えている。
目標はインターハイベスト4
インタビューの最後に今後の目標を聞くと、篠塚は間を置かずに、こう答えた。
「目標は今年のインターハイのシングルスでベスト4以上です。優勝と言いたいところですが、優勝を目指してベスト4というのが現実的なところかなと(笑)。
将来は世界で戦えるような選手になりたいです」
あまり感情を表に出さないそのプレーぶりからも想像できるように、決して饒舌なタイプではないが、言葉の一つ一つにはアスリートらしい芯が感じられる。天性のボールタッチを生かして、ここからさらにどこまで成長することができるのか。トップ選手を目指す読者や、トップ選手たちの活躍に胸を躍らせる卓球ファンには、原石が輝きを増していく瞬間を見逃してほしくはない。
篠塚大登:https://www.butterfly.co.jp/players/detail/shinozuka-hiroto.html
(文=佐藤孝弘、写真=岡本啓史、佐藤孝弘)