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W.シュラガーインタビュー 異端児が見た現代卓球①

 2003年5月25日は、今のところ卓球界にとって特別な日として歴史に刻まれている。
 この年、この日に生まれた世界卓球選手権大会男子シングルスのチャンピオンを最後に、男子の世界王者は中国選手によって独占されることになるのだ。
 20年前のこの日、パリ12区、ベルシーの会場を熱狂の渦に巻き込んだその男の名はヴェルナー・シュラガー。卓球強豪国とは言い難いオーストリアに生まれ、オリジナリティーあふれるプレースタイルを確立した男は、30歳にして世界の頂点へと登り詰めた。
 このインタビューでは、異端児シュラガーの来歴に改めてスポットライトを当て、その異端児の眼を通して現代卓球を見つめることで、卓球というスポーツがどこへ向かおうとしているのかを探っていきたい。
 初回は、シュラガーの卓球選手としてのキャリアの前半を中心に焦点を当てて話を聞いた。

家族全員で地元の卓球クラブに入った
それが私の卓球人生の始まりでした

--シュラガーさんが卓球を始めたきっかけを聞かせてください。

ヴェルナー・シュラガー(以下、WS) 私が卓球を始めたのは5歳の時です。主な理由は、卓球が父の趣味であり、父と一緒に過ごしたいと思ったからです。
 ここウィーナー・ノイシュタット(オーストリア)の地元の卓球クラブは、もともと会員が4人しかいませんでした。そのクラブに父が入会すると、続いて母、兄、私の家族全員が加わりました。家族全員が会員になって、クラブの会員数は倍増しました。それが私の卓球人生の始まりでした。


--始めた当初は誰に指導を受けていたのですか? また、どのような練習をしていたのでしょうか?

WS 卓球は父から教わりましたが、父自身は非常に熱心なホビープレーヤーにすぎませんでした。クラブで最初の数週間を過ごした後、私が卓球でかなり早く上達したことがわかり、その後、父は私と兄を自分自身で指導し、上達させようという野心を持つようになりました。
「どのような練習をしていたのか」は興味深い質問です。私は一般的な卓球の練習を知りませんでした。例えば、バックハンド、フォアハンド、フォアハンドを繰り返し打つファルケンベリという典型的な練習方法がありますが、私がこの練習を初めてしたのは12歳か13歳の時でした。
 それまでは、ボールをただ打ち込んで自由に打ち合うことだけが私の練習でした。完全にフリーな練習です。だから、実際には練習とは言えません。最初のうちはサービスを出したり、出さなかったりと自由にプレーしていました。そして、何か特別なプレーをするときは、そのことに集中するのですが、基本的な練習ではありません。
 そのうち、自信がない状態ながらも質の高いボールを相手コートに返すことだけを考えるようになりました。最初はフォアハンドだけに集中し、後にバックハンドにも集中しました。そして、それらを複合させる形の練習も行いました。それほど堅苦しい練習ではありませんでしたが、基本練習に準じた練習だったと言えるでしょう。

9歳の頃のシュラガー

屋根裏部屋で、兄とポルカのリズムに合わせて
卓球の練習をしたこともありました

--当時、尊敬する選手や憧れの選手はいたのでしょうか?

WS はい、もちろん子どもの頃にお手本になるような選手はいました。例えば、私のロールモデル(お手本)の一人は江加良(中国)でした。小学生の頃、自分のロールモデルについて作文を書かされたことがあります。そこで彼(江加良)は私の題材となりました。
 ティボー・クランパ(ハンガリー)は、私の父のロールモデルでした。父はいつも彼のビデオを入手しようとしていました。当時の映像メディアはまだスーパーエイト、ハイエイト、あるいはビデオディスクだったと思います。そして、父はそのビデオを私たちに見せて、テクニックを分析していたものです。クランパは、フォアハンドやバックハンドでスイング時にどのように加速するのだろう、など。そして、兄と私は、屋根裏部屋でクランパのスタイルをまねて、毎日プレーすることになったのです。こうやって、初期のころの私のプレースタイルが出来上がっていきました。
 何年かたってから、強くなるためには何かを変えなければいけないと気づきました。最初のころは、フォアハンドの振り(フォーム)が硬くて、卓球台からずっと離れたところでプレーしていました。
 もし、あなたが当時の兄のプレーを見ることができれば、クランパのフォアハンドをコピーしていることがすぐに分かったでしょう。


--当時は今よりも卓球界の情報、例えば技術や選手、試合結果などの情報を得るのが難しかったと思います。どのように情報を入手していましたか?

WS 面白い話があります。先ほども言ったように、父は私にすべてを独学で教えてくれました。当時は資料もなく、スポーツ科学はまだほとんど存在しない時代でした。
 東欧圏でかなり初期の卓球の本があり、父はそれを苦労して手に入れました。そして、「ポルカ(チェコの民族舞曲)の音に合わせて卓球をするといい。タイミングやリズムを取るのにいい」ということを読んだのです。それで、屋根裏部屋で兄と一緒にポルカのリズムに合わせて卓球の練習をすることになりました。タクト(拍子)感を出すためにポルカを聞きながら卓球台でフリーに打ったものです。それが良い結果をもたらしたかどうかは分かりませんが、父は私たち二人の少年にいろいろなことを試してくれました。クレイジーなこともありましたが、中には私たちの上達につながるような試みもあったのです。


--最高レベルに到達するために、最も効果的な練習やフィジカルトレーニングはどのようなものだったのでしょうか?

WS そうですね、父に教えてもらったことですが、フォアハンドの逆横回転サービス(YGサービス)を出す上で大切なのは、筋肉を鍛えることです。この筋肉(ひじ周辺の腕の筋肉)は当時の半分になってしまいましたが、この筋肉はYGサービスに必要な筋肉なのです。テーブルの角に腕を乗せて、ダンベルトレーニングをすると、とてもよく鍛えられます。若いころにかなりやりましたが、YGサービスを出すようになって、ボールに本当にいい回転がかかるようになったのは、そのおかげです。


--トップに到達するまでにあなたに影響を与えた人物は誰ですか? また、それはどのような影響やサポートだったのでしょうか?

WS 私の成長にとって最も重要な人たちは、家族、つまり、父、母、そして兄です。兄は練習パートナーであると同時に、3歳年上で私より強く、筋肉量が多く、私がどのようにプレーすればよいかを示すロールモデルにもなってくれました。
 そして、後年ではもちろん、長年のコーチであるフェレンツ・カルサイも、私にとって重要な影響力を持つ存在でした。彼は、選手の個人の自由と監督側の制御のバランスを見いだす能力を持っていました。私たちはスポーツについてよく語り合い、ともに経験し、結果を残してきました。彼がハンガリーでとても優れた選手だったことは、私にとっても非常に興味深いことでした。彼が私のために特別に練習メニューをつくってくれたことは、とても重要なことでした。

シュラガーがお手本にしたという江加良

屋根裏部屋で、兄とそのプレーをまねたというクランパ

19歳で軍隊に入るまでは
卓球が自分の人生になるとは
思っていませんでした

--自分に卓球の才能があると気づいたのはいつ頃でしたか?

WS 難しい質問ですね。他人の反応を見るまで、自分では実感がわかないものです。19歳で軍隊に入った時に初めて、自分が比較的良い感覚を持っていて、卓球選手として大きな可能性があるという、他人の評価が本当なのかどうかを知りたいと思うようになりました。
 軍隊に入るまでは、卓球が自分の人生になるとは思ってはいなかったのです。オーストリアでは卓球が高く評価されていませんでしたからね。つまり、私が卓球で周囲の注目を集めようと思っても、オーストリアでは難しかったのです。例えば、学校で「私は学校を欠席していたけれど、卓球でオーストリアのチャンピオンになったんだよ」と言っても、私は笑われるだけで、家族以外で認めてくれる人はまったくいませんでした。
 そのため、「卓球を仕事にしたい」と思うことは難しかったと言えます。そして、卓球を職業にするという決断は、軍隊に入隊した後、自分の本当の実力を確かめるために、本当に練習だけに集中するようになってからのことでした。それからすぐに選手として成功したので、プロになるという決断はかなり早かったですね。

--軍隊にはどのくらいの期間いましたか? また、そのことがあなたの強化や成長にどのような影響を与えたのでしょうか?

WS 1992年、19歳の時、オーストリア人男性全員に義務付けられている基本的な兵役に就くために軍隊に入りました。そして、たった1カ月の基本的な兵役の後、ウィーンのスポーツセンターでスポーツ部門に参加する機会を得て、そこで初めて本格的にプロとしてスポーツに携わる機会を得ました。つまり、ナショナルチームと一緒に、プロフェッショナルな環境で1日に2回練習をすることができたのです。
 軍隊はその機会を与え続けてくれました。同時に、軍隊を通して生計を立てることもできました。オーストリアでは、軍隊は国家のスポーツの最大のサポーターです。軍隊の支援がなければ、世界チャンピオンのタイトルはおそらく存在しなかったと思います。


--自分の才能を自覚した後、練習内容に変化はありましたか?

WS これも難しい質問です。才能というものをどう理解するか、あらかじめ定義しておく必要があるでしょう。つまり、人によって理解度が少し違うのです。私の場合、才能がある、とは、「その人が自然に多くのことを正確にこなすこと」です。
 卓球の場合では、ボールに対するフィーリングということを意味すると思います。タッチ、ボールに対する感覚、ボールの扱い方、ボールの読み方、ボールの回転の読み方、などですね。
 先ほど言ったように、私は(難しいことを)簡単にやっていたという感想を他の人からもらいましたが、私自身はそれを比較することはできませんでした。とはいえ、かなり早く上達していることは明らかでした。


--自分の実力を確かめたかったとおっしゃいましたね。自分自身を向上させるために、具体的に何をどのような方法で行ったのですか?

WS これは明らかなことです。子どもの頃は、少ししか基本的な練習をしませんでしたし、定期的な練習をほとんどしなかった、と言いましたが、そのため、プレーは安定感に欠けていました。ラリーは得意でしたし、創造性もありましたが、他の選手と比べると、やはり安定感に欠けていました。
 その後、軍隊に入り、その練習グループで毎日練習をすることで、この安定性を高めることができるようになったのです。19歳から20歳にかけて、私は精神的にも犠牲を払う準備ができていました。つまり、通常の練習時、肉体的に本当に疲れていて、あまりモチベーションの上がらないときでも、安定性の向上に取り組んでいたのです。



(まとめ=卓球レポート)

卓レポ名勝負セレクション  Miracle in Paris ヴェルナー・シュラガー Select.1

卓球レポートが国内外のさまざまな大会へ足を運び、およそ半世紀にわたり、収め続けてきた熱戦の映像から、語り継がれるべき名勝負を厳選して紹介する「卓レポ名勝負セレクション」。 独自性の高いテクニックと大胆な戦術で世界の頂点をつかんだシュラガー(オーストリア)の名勝負を紹介する。
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