パリ五輪卓球競技(2024年7月27日〜8月10日)の2週間にわたる激闘を終え、パリをあとにしてから約1週間後のある日、卓球レポートは張本智和(智和企画)にインタビューする機会を得た。ビッグマッチの後では恒例となったインタビューに姿を現した張本は、軽妙な冗談を交えながらスタッフにあいさつをすると、早くオリンピックの話を聞いてほしいと言わんばかりの勢いで口火を切った。
2週間分、いや、東京オリンピックからの3年間分の話を聞くためには、駆け足になってしまった感は否めないが、言葉の端々から張本の成長が感じられる充実した時間となった。
最終回は、フランスとの男子団体銅メダル決定戦と、今後の目標について聞いた。
僕のメンタルの弱さとルブランの強さがかみ合った10-7からの3本だった
――銅メダル決定戦のフランス戦は戸上隼輔/篠塚大登のダブルスが敗れて、苦しいスタートになりました。
張本 2番の準備があったので、僕はほとんど試合は見られませんでしたが、A.ルブランは普通じゃないメンタルの強さだし、ゴズィーにしてみれば、10何年間フランスのエースでやってきて、一生に一度のビッグチャンスですよね。ルブラン兄弟が現れたからこそ自分に巡ってきたオリンピックのメダルのチャンス。このダブルスさえ取れば、あとはF.ルブランが2点取ってくれる! その思いに2人が勝てなかったということだと思います。右左のペアだから右右より有利とか、戦術がどうこうとか、そういう問題ではなかったということだと思います。
僕のシングルス(F.ルブラン戦)も同じですね。点数だけ見ればあと1点だったかもしれないけど、F.ルブランの方がランクも上だし、シングルスでもメダリストだし、樊振東(中国)に競ったのは僕の方だけど、直接対決においてそんなことは関係ない。なるようになっているとしか思えない。
僕も(4番で)ゴズィーになぜ勝てたのか分かりません。神様が2対2でラストに回したかっただけかもしれないし、1対1になったときは「無理かもしれない」と思ったけど、普通にプレーしていたら5点連続で取れました。ゴズィーにしてみれば地元で、元エースで勝つ理由がいくらでもあったけど、勝ったのは僕で、それは実力の差だったのかもしれない。
全部含めて、中国が1位で、スウェーデンが2位でフランスが3位だったなと。細かいことを言っても仕方ない。シンプルに結果だけですね。
――とはいえ、F.ルブラン戦はチャンスがあったように見えました。
張本 実績は僕の方があるので、僕にも勝つ理由はありました。だから、僕が95%悪いとは思っています。でも、最終ゲーム10-7からの3本は本当に後悔していないですね。
準決勝のアントン(ケルベリ/スウェーデン)の時は(最終ゲーム)9-9でサービスを置きにいってしまった。でも、F.ルブランの時は10-8からサービス2球、フォア側からYGサービスを1本と、バックからバックサイドに大きいサービス。バックサイドに大きいサービスであの試合で3本サービスエースを取っていたんですが、ボールがちょっと浮いてしまって、相手は迷いなくミドルにチキータをしてきました。僕のメンタルの弱さも出たし、相手のメンタルの強さも出た。それまで3本レシーブミスしているサービスに対して、ちょっと浮いたからって、ゲームオール9-10という場面で普通の選手だったら、キュッて回転をかけて入れて、僕のバックカウンターで負けていると思いますが、それを「(今までは)ミスってるけど高いから行けるっしょ」で打ってきた。
僕のサービスがよかったら勝っていたかもしれないし、(10-9ではなく)10-8であのサービスを出していたら相手も打てなかったかもしれないとか、細かい部分まで目を向ければ、思うことはあります。でも、あの時した僕の選択はあのプレーで、誰かにそうしろと言われたわけでもないので、後悔はないです。僕のメンタルの弱さとルブランの強さがかみ合った3本だったかなと。
もっと言えば、その前の10-7のラリーもそんなに厳しくありませんでしたが、フォアで無理に打ったのもダメでした。無理に打っている時点で、相手の方が強いと認めているんですよね。入れにいったら、バックハンド一撃で決められると思っているから、無理してフォア側に打ってミスしてしまった。
同じ10-7でも、ゴズィーとF.ルブランではまったく違いましたね。樊振東が僕にやったみたいに、普通にバック側にツッツいて「打ってこい」というプレーがF.ルブラン相手にはできなかった。それができるくらい強くなるしかないです。
卓球でついた傷は卓球で取り返すしかない
――最後に、今後の目標、次の4年間のビジョンを教えてください。
張本 ありきたりなことを言うと、オリンピックが終わってすぐに練習して、誰よりも早くスタートしています。練習をしている方が、心が落ち着きます。僕はそこまでバカ真面目なわけではありませんが、変に旅行に行こうとしたり、遊びにいったりしたときの方が苦い思いをしていますね。卓球でついた傷は卓球で取り返すしかない。
シンプルに練習して、バックにツッツかれたボールを打てるかどうか。僕は課題に取り組みさえすれば絶対に克服できる自信があるので、まずはその課題を克服する。克服して次の大会に出る。その課題を試合で克服できたか、できなければまた練習する。試合でできても負けたら、また新しい課題が出てくる。逆に、今までできていたことができなくなることもあるかもしれない。できていたことのレベルをもっと上げるのもありかもしれない。一生その繰り返しです。
エッジ、ネットされようが、負けは負けだし、負けた理由があるわけだし、勝ったとしてもたまたまで勝てた試合なんて1つもない。勝ちにも負けにも理由はあって、それを4年間ひたすら繰り返して、試合のたびに反省して練習を繰り返して早く強くなるしかない。4年後にギリギリ間に合うんじゃなくて、この1、2年で張本智和という選手が絶対的な力を持っていなければ、間に合わない。今年のアジア選手権、来年の世界卓球で金を取るくらいじゃないともう間に合わない。オリンピックの1年前のシングルスで優勝してもたぶん遅いと思う。本当に、まず今年の4カ月勝負だし、来年の全日本も「優勝したい」とか言ってるレベルでもダメだし、何も思わず無心で優勝するくらいじゃないと、オリンピックでは銅メダルすら取れない。
「4年後はメダルを取りたい」とは言いません。みんなが見てメダルを取れると思える人になっているかどうかの方が、自分の意見よりも大事だと思います。
張本智和の21年のその大部分を占めるアスリート人生で到達したひとつの結論(といって差し支えないだろう)は至ってシンプルだ。「強い者が勝つ」。決してその逆、「勝った者が強い」ではない。
それは、言い換えれば「強さ」というものがあらかじめ存在し、勝敗を決定づけているという運命論的な考え方だ。一方で、「運」を口にし、チームメートの勝利を「祈る」張本だが、そこには一切のファンタジーはない。時に勝負を左右する運も祈りも、強さの前では些末(さまつ)な要素でしかないのだ。張本が目指しているのは、運や祈りで覆る程度の「強さ」ではない。
「あと、1点でメダルが取れていたかもしれない」
私たちの誰もがそう感じたとき、誰よりもその敗北に打ちのめされていたはずの本人だけが、「取れていたかもしれないメダル」という幻想ではなく「メダルを取れなかった理由」という現実と向き合っていたのだ。だから、張本は「取れていたかもしないメダル」にまったくと言っていいほど拘泥していない。それは彼がメダルに値するだけの強さに達していなかっただけだからだ。
張本が目指す圧倒的な強さの実現を、私たちが目にする日はいつやってくるのか?
それがいつになるにしろ、パリでの張本のプレーは、確実にその日が近づいてきていることを私たちに教えてくれたのではないだろうか。
4年後、さらに勝利と敗北を重ねた張本がどのような言葉を紡いでくれるのか。今から楽しみだ。
(了)
(取材=卓球レポート、文=佐藤孝弘)