選手紹介

選手

伊藤 繁雄(いとう しげお)
1945年1月21日生
山口県新南陽市(現・周南市)出身
右ペンドライブ攻撃型

小学生のときに野球に夢中だった伊藤。降雨のために野球ができなかったある日、公民館に遊びに行くと大人たちがピンポン球を打ち合っていた。それが伊藤の卓球との出合いだった。
伊藤は生まれつき左利きだったが、あるとき小学生の伊藤に負けたことを悔しがった大人から「左手で打つのはずるい。右手でやらないと仲間に入れない」と言われた。そこで、伊藤はラケットを右手に持ち替えて利き腕のように動かせるまで練習した。そればかりでなく、伊藤はその後現役を引退するまでずっと右手でプレーを続けた。
高校卒業した後、社会人を2年経験するも卓球に対する情熱から専修大学に入学。そこで河野(第34回世界チャンピオン)らと共に腕を磨いた。「人の驚くようなプレーは、人の驚くような練習やトレーニングからしか生まれない」という言葉通り、伊藤は強靭な精神力で厳しいトレーニングや練習をこなして脅威のフットワークとフォアハンドを身につけ、1969年に悲願の世界チャンピオンに輝いた。

主な戦績

世界卓球選手権大会初出場となる1969年世界卓球選手権ミュンヘン大会で男子シングルス優勝。続く1971年世界卓球選手権名古屋大会でも男子シングルス準優勝を飾る。また、国内でも全日本卓球選手権大会で男子シングルス優勝2度(2連覇)、男子ダブルス優勝4度(3連覇含む)、混合ダブルス優勝2度(2連覇)を誇るなど、記録多数。

伊藤 繁雄 選手のラケット

ラケット

伊藤選手が1969年世界卓球選手権ミュンヘン大会の男子シングルスで優勝したときのラケット。檜単板のペンホルダーで、重量はラバーを貼った状態で135gだった。伊藤選手は、ボールにスイングの力を多く伝えるため、グリップと自分の手の接触面積が大きくなるようにグリップ部分の削り方を工夫していた。

ラバー

裏ソフトラバーを使用し、鋭い回転のかかったドライブとスマッシュを巧みに使い分けた。現存のラバーは表面が劣化し、深いひびわれが入っている。